秋田に帰ってきて感じた違和感

秋田県で生まれ育ち、学生時代に6年間仙台市で過ごして秋田に帰ってきました。

この記事では、私が秋田に帰ってきて半年以内に感じた違和感を書いていきます。

個人的な感想なので、一般的にどこでも当てはまるかは分かりません。

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よそ者を寄せ付けない

見栄っ張り

どうだ、すごいだろうと、ことあるごとに自慢話をしてきます。

「有名人と知り合いなんだ、すごいだろう」というので話を聞いてみると、SNSで一方的にフォローしているだけでした。

謎の同調圧力

「あなたはどう思いますか?」ではなく「あなたもそう思うでしょう?」のように聞かれることが増えた気がします。

また、「私たちがやらないのだから、あなた方もやらないですよね?」みたいなのも人づてに聞きました。

名前で呼ぶ

学生時代は名字で呼ぶことがほとんどだったので、当時かなり違和感を覚えました。

今は慣れたのか、全く違和感を感じません。

説明するより見て覚える

学生時代の演奏会は、必ずマニュアルを作って動きを全体に周知していましたが、秋田に帰ってきてからは、せいぜい限られた人だけが知っている程度でした。

当時新入りだった私は、手伝えるところが分かりませんでした。

公共施設の名前がわかりにくい

センタース、いーぱる、キタスカ、なんぴあ、ウェスターと言われても、初見では分からないですよね。

それぞれ、中央市民サービスセンター、東部市民サービスセンター、北部市民サービスセンター、南部市民サービスセンター、西部市民サービスセンターです。

いずれも市民サービスセンターなのに、呼び方が全然違います。

また、アゴラ広場も何する場所なのか分かりませんよね。

実態はただの駅前パフォーマンススペースです。

バス停の名称は「買物広場」となっており、こちらの方がまだなんとなく分かる気がします。

秋田駅周辺にあるALS(アルス)は商業施設なのでまだ許容できますが、駅の反対側にはALVE(アルヴェ)というものもあり、なんともわかりにくいと思います。

冬の日照時間が短い

秋田に帰った最初の冬に仙台へ演奏会を聞きに行ったところ、「(空が)明るい!」と感激したのを覚えています。

それまであまり感じていませんでしたが、日本海側と太平洋側ではかなり気候が違うということを実感しました。

終わりに

高校までは県外に出るのが怖いと思っていましたが、今では一度は秋田県外で暮らしてみるべきだと考えています。

きっと海外で生活したら日本の見方も変わるんだろうな。

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秋田の話
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